大判例

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浦和地方裁判所 平成3年(わ)835号 判決

主文

被告人を懲役一年六月に処する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、モスバーガーショップの店長として稼働していた者であるが、平成三年一一月五日午前一時ころ、勤務を終えてバイクで帰宅途中、埼玉県春日部市〈番地略〉先路上を自転車で単身走行中のM(当時一七歳)を認め、当初は興味本位でそのあとを追尾してみたところ、同女が、暗く人通りのない場所へ入っていくのを認めたことから、次第に劣情を催し同女を強姦しようと決意したものの、その追尾に気付いた同女がいち早く付近の民家に逃げ込んだため、一旦犯行を断念した。ところが、被告人は、その後間もなく、同所付近から立ち去りかけた際、追尾者が立ち去ったものと安心して再び自転車で自宅に向かった同女を発見し、またも追尾し始め、これに気付いた同女が、警察に通報しようとして自転車を降り、同県越谷市〈番地略〉所在越谷市立弥栄小学校敷地内の公衆電話ボックスに向かったのを認めるや、付近が田圃の広がる人気の全くない場所であったことから、同所付近で同女を強姦しようと決意し、自らもバイクを降りて徒歩で右電話ボックスに向かった。

(罪となるべき事実)

被告人は、平成三年一一月五日午前二時ころ、埼玉県越谷市〈番地略〉所在越谷市立弥栄小学校敷地内公衆電話ボックス内の前記M(当時一七歳)に対し、いきなり背後から抱きついて引きずり出し、「顔に傷をつけられたくなかったら静かにしろ。」などと言いながら、これを引きずって、付近のコンクリート製階段の上部に押し倒し、着衣を脱がせて下半身を完全に裸にするなどの暴行・脅迫を加えてその犯行を抑圧し、強いて同女を姦淫しようとしたが、同女から「やめて下さい。」などと哀願されたのを契機として、自己の意思によりその姦淫を中止し、未遂に止まったものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一七九条、一七七条前段に該当するところ、右は中止未遂であるから同法四三条但書、六八条三号により法律上の減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役一年六月に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予することとする。

(中止未遂を認定した理由)

一  検察官は、被告人が姦淫を断念した主たる動機は、被害者の抵抗にあい、これを強いて姦淫すれば被害申告されて自己の犯行が発覚することを恐れたことにあったのであり、被告人は、右犯行を任意に中止したものではないから中止未遂は成立しない旨主張している。

二 そこで、検討するのに、前掲各証拠によると、被告人は、判示認定のとおり、被害者から「やめて下さい。」などと哀願されたことを契機として、姦淫の遂行を断念したことが明らかであるが、右断念の際の被告人の気持ちとして、被告人は、①同女がまだ二〇歳位で若く、かわいそうになったことと、②強姦までしてしまうと警察に被害を申告されて捕まってしまうのがこわかったということの二点を挙げ、右②が主たる理由であるとしている。従って、中止未遂の成立要件である中止の任意性につき、主観的な反省・悔悟の情を重視する立場からは、右の点だけからでも、中止未遂の成立は否定されることとなろう。

三 しかし、ひるがえって、本件犯行当時の状況を証拠によってみると、①本件は、周囲に田圃が広がり、かつ、民家もなく、しかも付近の人通りの全くない深夜の小学校敷地内における犯行であり、右犯行が通行人や付近の住民に発見されて未遂に終わる等の蓋然性は、まず存在しない状況であったこと(換言すれば、本件については、犯行を未遂に導くような客観的、物理的ないし実質的障害事由は存在しなかったこと)、②被告人は、被害者に哀願された時点では、既に、判示のような暴行・脅迫により被害者の反抗を抑圧した上、下半身の着衣を全て脱がせた状態にまでしてしまっていたこと、③被害者は、当初は悲鳴をあげて必死に抵抗したが、下半身裸にされたのちにおいては、大声をあげることもなく、ただ、「やめて下さい。」などと哀願しながら、姦淫を嫌がっていただけであることが明らかである。そして、右のような状況のもとにおいては、二五歳の屈強の若者である被告人が、一七歳の少女である被害者を強いて姦淫することは、比較的容易なことであったと認められる。その上、強姦罪は、男性の性的本能に基づく犯罪であるため、一旦これを決意して実行に着手した者は、客観的ないし物理的障害に遭遇しない限り、犯意を放棄しないのが通常であるから、右認定のような状況のもとに被害者の反抗を抑圧した強姦犯人が、被害者から「やめて下さい。」などと哀願されたからといって、犯行を断念するのはむしろ稀有の事例と思われる。

四 そして、右のように、一旦犯罪の実行に着手した犯人が、犯罪遂行の実質的障害となる事情に遭遇したわけではなく、通常であればこれを継続して所期の目的を達したであろうと考えられる場合において、犯人が、被害者の態度に触発されたとはいえ、自己の意思で犯罪の遂行を中止したときは、障害未遂ではなく中止未遂が成立すると解するのが相当であり、右中止の際の犯人の主観が、憐憫の情にあったか犯行の発覚を怖れた点にあったかによって、中止未遂の成否が左右されるという見解は、当裁判所の採らないところである(のみならず、本件においては、被告人の犯行中止の動機の中に、従たるものとしてではあっても、被害者に対する憐憫の情ないし反省・悔悟の情の存したことは、前認定のとおりである。)。なお、付言するに、判例・学説上、「犯罪の発覚を怖れて犯行を中止しても中止未遂は成立しない。」と説かれるのが一般であるが、右は、犯罪の遂行中、第三者に発見されそうになったことを犯人が認識し、これを怖れた場合のように、犯罪の遂行上実質的な障害となる事由を犯人が認識した場合に関する議論と解すべきであり、本件のように、外部的障害事由は何ら発生しておらず、また、犯人もこれを認識していないのに、犯人が、単に、被害者の哀願の態度に触発されて、にわかに、後刻の被害申告等の事態に思い至って中止したというような場合を念頭に置いたものではないと解するのが相当である。

五  従って、本件につき中止未遂の成立を否定する検察官の主張には、賛同することができない。

(量刑の理由)

本件は、深夜、勤務先からバイクで単身帰宅途中であった被告人が、自転車で外出し途中から引き返してきた若い女性(被害者)を認めてこれを追尾するうち、同女強姦の犯意を生じ、人気の全くない小学校の敷地内の公衆電話ボックスに入った同女に対し、判示のような暴行・脅迫を加え、その反抗を抑圧してこれを強姦しようとしたが、同女の哀願に接し、自己の意思で姦淫を中止したという強姦未遂の事案であるところ、未だ一七歳の同女が、見ず知らずの男性に約5.4キロメートルにわたり執拗に追尾され、身の危険を感じて途中民家に助けを求めるなどしたのち、警察に連絡をとろうとしたところを襲われたという右犯行の経緯に加え、右現場においても下半身を裸にされ、姦淫寸前の状態に陥らされたことなどに照らすと、本件により同女の受けた恐怖・驚愕と屈辱感には極めて大きなものがあったと考えられる。

被告人は、当時、平成三年七月の開店時からモスバーガー店の店長を任せられ、連日長時間、しかも、休日をほとんどとらずに勤務し(七月から犯行当日までの四か月の間、二日間しか休んでいない。)、私生活上も一歳の幼児と妊娠中の妻を抱え、精神的にも肉体的にも極度の疲労状態にあった上、性生活も思うに任せなかったことが窺われ、これらの事情は、被告人による本件犯行の決意と無関係ではなかったと認められるので、その動機及び背景事情には斟酌の余地がないわけではないが、私生活上の欲求不満の捌け口を全く無関係の若い女性に求めるというが如きは筋違いも甚だしく、右犯行の動機等の点を量刑上過大に評価することは許されない。

しかし、他方、本件においては、他にも、被告人のため斟酌すべきいくつかの重要な情状が認められる。すなわち、その第一は、前記のとおり、被告人は強姦罪の実行に着手したものの自らの意思によりこれを中止し、本件を未遂に止めたという点である。もっとも、被告人の犯行中止の主たる動機は、前記のとおり犯行の発覚を怖れた点にあると認められるので、同じく中止未遂とはいっても、専ら道徳的悔悟の情による場合と比べると、犯情においていささか遜色のあることを否定しないが、それにしても、被告人が、自己の意思により犯行の継続を中止し強姦罪の保護法益である女性の性的自由を侵害するには至らなかったということは、量刑にあたり、かなりの程度考慮に値する事情というべきである(なお、被告人が、強姦行為を中止したのち、強制わいせつ行為を行って性欲の発散を試みている点は、まことに芳しからざる情状ではあるが、本件においては、右強制わいせつ行為は、審判の対象とはされていないのであるから、この点を量刑上重視するのは相当でない。)。その第二は、示談の成立及び被害感情の大幅な緩和の事実である。すなわち、被告人の妻は、被害者に対する慰謝の措置に努め、同女の両親との間で金一〇〇万円を支払って示談を成立させており、その結果、当初被告人の厳重処罰を望んでいた被害者の被害感情も大幅に融和し、同女も現在では、被告人のため寛大な処分を希望するに至っている。もっとも、この点についても、財産犯とは異なり、人身犯、特に、被害者側の精神的内面に拭い難い傷痕を残すとされる強姦罪においては、示談という形での金銭賠償によっては衝撃を完全に拭い去ることはできないという反論が優に可能であるが、示談書及び嘆願書から窺われる被告人側の誠意及び被害感情の大幅な緩和の点は、量刑上やはりかなりの重みのある事実というべきであろう。そして、右に指摘した点のほかにも、本件については、被告人は、これまで何らの前科・前歴を有さず、若年ながら妻子を養いつつ、仕事の上でもモスバーガー店の店長という困難な立場をよくこなし、真面目に社会生活を送ってきた者であって、上司の信頼も厚く、家庭においてもやさしい夫であること、被告人の妻及び被告人らと家族ぐるみの付き合いをしている従前の職場の上司(経営者)がその監督を誓っていること、被告人が実刑に服することとなると、生活の支柱を失った妻子らが路頭に迷うことになるばかりか、被告人の逮捕後、協力者を失い心労から十二指腸潰瘍を患っている職場の上司(経営者)も、事業の経営に重大な困難を来すこと、更には、本件犯行の動機には、前記のとおり、なにがしか斟酌の余地があることなどの事情が認められるのであって、前記第一、第二の点に加え、右に指摘した情状を併せ総合して考察すると、被告人に対し、今直ちに実刑を以て臨むのはいささか酷に失し、むしろ、相当期間その刑の執行を猶予し、前記監督者らのもと、社会内における更生の機会を与えるのが相当であると考えられる。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官木谷明 裁判官大島哲雄 裁判官藤田広美)

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